体育館の夜のプールで女性にバタフライを習う

By | September 26, 2015

『バタフライを泳ぐ彼女』

体育館の夜のプールには毎日、仕事を終えた人々が、大勢泳ぎに来る。僕もその一人だ。もちろん温水で、最初は冷たく感じても、入ってしばらくすると何とも肌に心地よく感じ始める。
仕事のむしゃくしゃしたことも、プールで思い切り泳げばきれいに忘れてしまう。僕は勢いよく水を切って泳ぎ始めた。
すると僕の眼の前を、凄い速度で泳いでいる一人の女性がいた。水中に頭をどっぷりつけて、ちからづよく全身を波打たせるその泳ぎは、まちがいなくバタフライだ。あたりに水しぶきを遠慮なく飛び散らせて泳ぐその姿は、さっそうとして、見栄えがした。
僕は、はやくも向こう側のプールサイドにたどりついた彼女のところへ、こちらはクロールでちかづいていった。
「こんばんは。決まってましたね、バタフライ」
「ごめんなさい。しぶきが当たったでしょう」
「かまいませんよ。プールの中でぬれないほうがおかしいのですから」
「あなたは、おひとり?」
「ええ。きみは?」
「ひとりよ。よかったらいっしょに泳がない?」
「バタフライはできない」
「簡単よ。教えてあげる」
そんなわけで僕は、彼女からバタフライの泳ぎ方のレッスンをうけることになった。
水の中に立った彼女は、わりと大柄で、僕とほとんど背丈は変わらなかった。泳いでみろと言うので、さっきの彼女のバタフライをおもいだして、とにかくやってみた。が、頭と尻の浮き沈みのタイミングがあわず、体はちっとも前にすすまなかった。彼女は自分で泳いででみせたり、僕の体を両手で支えて浮かせた状態で、手足を動かさせたりた。しばらくするうち、コツがのみこめてきて、なんとか泳げるようになってきた。
「お上手ね、お上手」
彼女が手を打ってほめてくれた。
僕たちはそれからも、二人で水泳をたのしんだり、プールサイドに設置された風呂にはいったりして、本当に楽しいひと時を満喫した。
その日は家にかえってからも、彼女のことで気持ちはうかれ、いろいろ思いだしてはにやりと笑ったりした。今度会う約束など交わさなかった僕だが、プールに行けばまた会えると確信していて、三日後ふたたび、うきうきした気持ちで体育館にむかった。
プールサイドに立った僕は、すぐに水中の彼女をみつけた。しかしそこには、別の男性がいて、このあいだの僕のように、彼女が手を取り足をとって、バタフライを指導しているのだった。彼女が僕一人だけに親切で、優しいと僕が勝手に思い込んでいただけのことで、これはまだ恋というにもはやすぎる、なま茹での豆のような話だった。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *